| 飯田線旧国1983−電動車1 |
| 2扉クロスシート系電動車(およびその改造車)と、特異な荷物郵便合造電動車編です。 ●クモハ43・クモハ53・クモハ50 戦前関西の東海道本線吹田−須磨間に電車運転が開始されましたが、その折に登場したのが20m2扉クロスシート車モハ43一族です。関東では2扉クロスシート車としてはクハこそ20m級でしたが、電動車が17m級のモハ32が当時の長距離電車運転区間だった横須賀線に投入されていたのに過ぎなかったのに対し、関西ではいきなり20m級モハを含む系列が投入されたのには、阪急・阪神という強力なライバル私鉄が存在していたという理由があったためでしょう。 ![]() クモハ43015(駒ケ根) ![]() クモハ53001 ![]() クモハ53001(伊那松島機関区) 飯田線に最後に残った正統派モハ43と言えるのがこれらクモハ43015・クモハ53000・クモハ53001です。シル・ヘッダーそして先頭にかざしたパンタグラフに平妻の前面と、旧型国電(省電)らしいスタイルにずらりと並んだ狭窓といういでたちで、いかにも戦前型といった印象の末期飯田線きっての重厚感溢れる車両でした。 クモハ43とクモハ53の違いは、モータの出力を上げているか否かのもので、クモハ43015は唯一オリジナルのモータ出力で残った一両でした。但しモータ出力を上げクモハ53となった2輌も形態的には大きく異なることはなく、流電登場前の京阪神のスターの姿を最後まで伝えた3輌でした。 ![]() クモハ53000室内 室内は旧国として標準的なニス塗りでした(確か3輌とも)。外観の美しさでは圧倒的な人気を誇った後述クモハ53007は室内ペンキ塗りに改装されていたため室内に関しては原形3輌の方が風情はありました。 因みに、モハ43一族(の一部?)は戦後京阪神地区から横須賀線に移り、当時の関東のファンを喜ばせたという逸話もありますので、当時の20m2扉クロスシート車がいかに人気の電車であったかが偲ばれます。(後に出てきますが戦前より横須賀線にもクハの20m2扉車は存在) ![]() クモハ53007(伊那松島機関区) 戦前京阪神間の急行電車(後年の新快速)用として活躍した、元モハ43の変形車です。従来のモハ43は同じ2扉クロスシート車ですがシル(窓下のリブ)・ヘッダー(窓上のリブ)・リベット(鋲)が付き、また狭窓がずらっと並んだどちらかというと無骨な車輛でしたが、後にクモハ53007・008となった車輛は当時の京阪神のスター流電(モハ52)の後期形と同じ広窓にノーシルノーヘッダー・張上げ屋根という車体を持ちこれにモハ51・クハ68の半流線型の貫通扉付きの前頭部を合わせたものでした。流電の車体に半流の顔を持ったことより「合の子」の愛称で呼ばれました。この「合の子」は流電モハ52が実際の保守点検等に支障を来すなどネガがあったためためその増備車として4輌が製造されたようです。モハ43のうちモータ出力を後に上げられたものはクモハ53と名を変え、「合の子」のうちの2輌はクモハ53007クモハ53008となりました。他2輌に関しては、一輌は戦災で廃車となり、残る一輌は低屋根化されクモハ431810となり、青22号に塗られ大糸線で1981年まで活躍したとのことです。 流電(モハ52→クモハ52)が1978年に廃車になった後、飯田線のスターとして君臨することとなった合いの子2輌のうち、特にクモハ53007(ゼロナナ)は張上げ屋根(雨どいを車体内に隠し車体側面が屋根部に張りあがる)の美しい姿を保っていて非常に高い人気でした。(「鉄」にとってですが…) ![]() クモハ53007(伊那松島機関区)…これを「美しい」と思えれば立派な「鉄」です またゼロナナは、荷物合造車と同じ向きを向いていたため、運用の都合上先頭に出る機会が少なかったと記憶しています。 ![]() クモハ53007の室内 類稀なダントツの魅力を誇ったゼロナナですが、室内は旧国本来のニス塗りから淡緑色のペンキ塗りに改められていたため、この点は旧国本来の味わい深さがなく魅力に欠けました。(でも田切から豊橋まで6時間ぐらい乗車しました。いくらペンキ塗りでもゼロナナに乗れる機会はこれが最初で最後だったので…) ![]() クモハ53008(平岡)) 上記、ゼロナナに次いで2番人気だったクモハ53008(ゼロハチ)です。ゼロナナと生まれも素性も殆ど同じでしたが、惜しいことに雨どいを標準状態にもどし屋根車体見切り位置も降ろす改造を受け張上げ屋根でなくなってしまっていました。このためゼロナナほどの人気はありませんでしたが、それでも広窓にノーシルノーヘッダーの車体は美しく高い人気を誇っていました。ゼロナナと異なり荷物合造車と反対を向いていたため、それらと編成を組む場合も先頭に出ることとなり、ゼロナナと比較すると先頭に立つ機会が多くありました。 ![]() クモハ53008(田切−伊那福岡) 定期運用廃止後に行われた飯田線の旧国さよなら運転時にも使用され(上写真)、下り方の先頭車輛として使われ飯田線旧国の有終の美を飾りました。 ![]() クモハ50008(田切−伊那福岡) モハ43(→クモハ43)の出力を上げたモハ53(→クモハ53)にドアを追加し3扉化した車輛は、クモハ50と呼ばれました。飯田線には最盛時4輌のクモハ50が活躍したそうですが末期にはクモハ50008のみが残り最期の活躍をしました。 ![]() クモハ50008側面ショット とっさに撮った非常に解り難い写真ですが、このような感じで本来ずらっと並んだ狭窓2扉のボディの中央にドアが新設されていました。 ![]() クモハ50008前面(豊橋) 正面から見れば、クモハ43・53と区別はつきませんでした。クモハ50同様の3扉改造を受けた車輛のうち、種車が高出力化されたクモハ53ではなくオリジナルのクモハ43だったものはクモハ51200番台と呼ばれ、末期飯田線にもクモハ51200一輌が残っていました(が、出会えなかったので多分写真がありません) ●クモハユニ64 ![]() クモハユニ64000(伊那松島機関区) 生涯一形式一輌だった孤高の車輛です。元は戦時中に横須賀線用として製造されましたが、同時期に作成された他の何両かは物資不足のため電装されずに出場し、モハユニ(後にクモハユニ)として出場したのはこの車輛一輌でした。その後、各地を転々とし飯田線への入線は他の旧国よりずっと後の1978年でした。各地を転々とするうちに当初なかった客室エンドにも運転室が付けられる等の改造を受けたり、クロスシート化・ロングシート化も何度か変わったようですが、最終的に飯田線で活躍していた姿はロングシートでした。また飯田線入線後しばらくは茶色(ぶどう色2号)だったようですが、晩年は写真の通りスカ色(横須賀線色=青15号+クリーム1号)になっていました。クモハユニ(運転台・モーター付・普通座席・郵便・荷物車)しかも両側運転台と、これ一輌で鉄道会社を始められそうなオールマイティーな一輌でした。 ![]() クモハユニ64000飯田線では先頭に立つことのなかった客室エンド側から その特異性から人気もあり、また荷物合造車であることから使用される場合は常に先頭(もしくは最後尾)となりました。但し長距離な飯田線ではどちらかというと少数派だったロングシートだったので乗る魅力はありませんでした。 ![]() クモハユニ64000室内 |